人生初のアルバイトは、運輸会社のトラック助手であった。高校3年生になる春休みにクラスメートの紹介で、確か1週間ほど就いた。要するに荷物運びのお手伝いである。

 朝8時、トラックの荷受場所に行き、運転手さんと一緒に配達先に運ぶ荷物を積み込み、出発する。40年前であるからカーナビなんぞはない。私が助手席で地図を見ながらナビゲートするのである。目的地に着くと荷運びし、次の場所に向けて移動する。夕方5時ごろまで、この繰り返しだ。日給5000円だったと記憶する。

 初めて働いて手にするお金であるから、喜びも大きい。とともに、見知らぬ大人と一緒に仕事をする緊張感も味わうし、雑談で「その人の価値観」を垣間見ることもあった。何人かの運転手さんと一緒になったが、ある年配運転手さんとの「仕事談議」は今も覚えている。

(運)「お前さん、将来どんな仕事をしたいの?」
(私)「まだ分かりません。どんな仕事が世の中にあるのかも、向いているのかも分からないです」
(運)「仕事ってのは、たくさんあるけどな、向いているかどうかなんて、やってみないと分からないものよ」
(私)「……」
(運)「最初から決めつけないほうがいいと思うんだな」
(私)「好きなことを仕事にできると楽しくないですか?」
(運)「そういうことを言うやつは、まあダメだな」
(私)「……」
(運)「能書き垂れずに出合った仕事を一所懸命しているやつが信用できる。好きとかきらいとか四の五の言うやつはダメだ」
(運)「お前、なんとなくそば屋になりそうだな。ああ、そんな気がするなあ」
(私)「……」

 「将来おそば屋さん」と言われたことは心に残ったが、その通りにはならずに今に至る。思い出しながら書いてみると、映画「男はつらいよ」の主人公、寅さんこと車寅次郎のセリフのようにも思えてくる。

 初めてのアルバイトで3万円(高校生には大金だった)と、この「仕事談議」を私は受け取り、今でも春になると時折それを思い出す。【さ】