50代、60代以上の中には、若い頃に「ハマっていた!」という方もおいでではないか。読書の楽しみを知った、とか、ユーモア交じりの文章に元気づけられた、とか。1960年代から人気作家となり、純文学とユーモアエッセーの両方であまたの読者を魅了した北杜夫さんだ。
筆者も大ファンで、中学1年生で手に取った「あくびノオト」というエッセー集から北文学に傾倒した。すぐに「夜と霧の隅で」「幽霊」「牧神の午後」といった純文学作品をむさぼるように読み、従って学校の勉強をほとんどせず、昭和を代表する名作「楡家の人びと」に衝撃を受け、物語を紡ぐとはこのような作品のことか、と大げさに言えば「生まれてきてこの作品に出合えて良かった」と心底感じ入ったのが中学3年生の時であった。
一方で「どくとるマンボウ航海記」をはじめとするいわゆる「マンボウもの」も、その筆致に、愉快な言葉遣いに、魅せられた。「どくとるマンボウ青春記」は、高校時代に繰り返し読んだ、私にとってバイブルのような存在であった。3年生の秋、旧制松本高校に憧れて松本まで一人旅し、当時まだ残っていた旧「思誠寮」を訪問。高校生だった北さんが寮の押し入れ板に書いた号とされる「憂行」の墨字を見せてもらった。父である斎藤茂吉からは「憂行生」などとしないと号にはならない、と指摘されたという話も、青春記には記されている。
この秋、久方ぶりに「北さんの新刊」が刊行された。「憂行日記」である。亡くなって10年。斎藤国夫さん編集による若い頃の北さんの日記集だ。旧制松本高校入学直前から記された、往時の情感がたっぷり詰め込まれている。題名にあるのは、上記の高校時代の号「憂行」である。
ネタバレになるので詳述しないが、10代後半の若者の叙述とは思えぬ表現力をそこに見る。短歌あり、詩があり、後の純文学につながる基礎体力を、この日記を通じて養っていたのではあるまいか。なので、北ファンにとっては必見の本である。
北杜夫さんの話になると、私なりの短い連載もできるくらい「マニア」と言えるが、今回はこのあたりで筆をおく。【さ】