一日の過ごし方を振り返ると、平日は仕事に就いている時間が当然ながら長く、自由に過ごせる時は少ない。夜、帰宅してから2時間ほどか。仕事のない休日は、それなりに自由が利くけれど、よくよく見ると結構決まった過ごし方をしている。
平日の「夜の2時間」は、食事や入浴を除いた時間で、ニュースを見たり、録画した番組を見たり、映画を見たりして過ぎてゆく。休日は、掃除をして、海に入り、スポーツジムに行くと、もうあまり時間が残らない。
何を言いたいかというと、じっくりと本に向き合う時間を取れていないということだ。それでも、通勤時間に新聞を読み、帰宅の電車内で本を開き、休日も1時間ほどは本に触れるようにしている。だが、圧倒的に少ない。
これまでの人生では、高校時代が最も本を読んでいた。毎日、2、3時間は乱読していたし、半日通して1、2冊読み上げることもあった。今思えば至福の時間であった。
仕事や家庭を持つと、往時のようにはいかないのだが、改めて振り返ることで、もう少し読書時間を捻出できないものかと思案する。きっとリタイアしたら、もっと本を読めるのではないかとも期待するのだが、そうなったらそうなったで別のことに時間を取られる気もする。漫然と考えていてはダメなのだろう。
寝食忘れて本を読む(没入する)のは、快感である。したがって、通勤時間に本を開くと、この快感を中断されることになる。あるいは、快感に向かっている最中に強制終了を余儀なくされるわけだ。これは結構不快で、読まないよりはマシなのだが、気持ちの上では極めてよろしくない。仕方が無いのだが、イヤな感じ。同じような感覚をお持ちの方はおられないだろうか。
ともあれ、生活時間を見直して、本を読むまとまった時間を確保しようと決意したところだ。「快感」に浸る時を求めて。【さ】