半世紀前、昭和40年代の商店街はぼくとつとした空気に包まれていたことを思い出す。
私が幼少期を過ごした街では、肉は肉屋、野菜は八百屋、魚は魚屋があり、それぞれが互いに補い合いながら、家庭の食卓を彩っていた。求めた材料に合う野菜を肉屋や魚屋が勧めたり、逆のこともあったりと、連係プレーが見事な商店が軒を連ねていた。
お使いに出され、母親に指示された買い物をするのだが、肉屋が兼営する隣のコロッケ屋から良い匂いがして、物欲しそうな顔をしていると、「コロッケ好きかい?」とニコッと問われ、恥ずかしいので、コクリと首を立てに振ると、ひき肉のおまけにコロッケを一つもらったりした。八百屋さんではキュウリやトマトを一つおまけしてくれたことも思い出す。「購入すべき品物」以外の特典がつくことが子供心に非常にうれしかった。お店では、おばさんが対応してくれるとおまけをくれるのだが、おじさんの場合はくれない、といった属人的な対応であることは瞬時に理解でき、その差はなぜなのか、おまけをくれることはお店にとってどの程度の影響があるのかなどとアタマを巡らせたものだった。
その後、大きなスーパーマーケットなるものが登場し、すべての品が一気に買える便利さで、お使いも個人商店には行かなくなってしまった。当然、おまけもなくなった。買い物での「対話」がなくなった。おそらく大抵の街は同じような状況をたどったのだろう、個人商店が次々と姿を消していった。
最近、ひと駅離れた商店街で買い物をするようになった。個人商店で、だ。肉は肉屋、魚は魚屋、野菜は八百屋か農協。パンはパン屋だ。モノが良いと感じる。店主と対話がある。こうした時間がうれしいと感じるようになった。幼少期に感じたぼくとつさはないが、あの頃を取り戻した気持ちになる。
先週、パン屋に行き、カレーパンを買った。これが大層美味で、これまで各所で食してきたカレーパンの中では最高の出来なのである。おしゃれなパン屋さんではない。明らかに昭和時代のお店の造り。「これはかなり美味ですね」と、お店のおばさんに声をかけると「皆さんにごひいきにしていただいてすぐに売り切れてしまいます」と、ちょっぴり自慢げにニコッと笑った。そして「良かったらどうぞ」と、揚げた食パンの耳をおまけにくれた。【さ】